桂離宮、私の心に残る最も美しい庭

今回の京都滞在で、ようやく桂離宮を訪れることができました。正直に言えば、もともと最も行きたかったのは兼六園です。自分が作品の中で探している「六勝の美」とは何なのか、この目で確かめたいと思っていました。

桂離宮に六勝という名はありません。それでも、控えめで抗いがたい力があります。参観を終えたあと、心に残ったのは敬服ではなく、一種の悔しさでした。あまりにも多くのものが隠され、私はまだ何も見抜けていないように感じたのです。

その悔しさは旅のあいだ、ずっと私についてきました。旅を終えてからも、庭のことを忘れられませんでした。

桂離宮で一冊の本を買い、帰ってからゆっくり読み込もうと思いました。初代八条宮智仁親王が始めた桂別業を、子の智忠親王が受け継ぎ、増築しました。二代にわたって積み重ねられた雅趣は、決して華美な形式で語りません。道筋、視線、素材、比例、そして見過ごしてしまいそうな細部に宿っています。

やがて私は、敬服は人を遠くに立たせ、悔しさは人を振り返らせるのだと気づきました。桂離宮は美を急いで見せません。美を隠し、見る者に、時間と引き換えに理解することを求めます。

だからこそ、桂離宮は私の心に残る最も美しい庭になりました。すべてを理解できたからではありません。立ち去ったあとも、もう一度戻り、あと少しだけ深く見たいと思わせるからです。