友人 R との対話

R は、私が知る友人の中で、最も独特な一人です。

彼は自分を芸術家というより、哲学者として捉えています。話をするとき、私たちは作品の良し悪しだけに留まることはほとんどありません。さらに深く掘り下げ、芸術の背後にある本質を理解しようとします。

あるとき芸術家について語り合い、私たちの考えが近いことに気づきました。芸術家とアスリートの本質は、多くの人が想像する以上に似ているのかもしれません。R は、両者が追い求めるものは才能だけではなく、少し高いところにいる自分なのではないかと話しました。その言葉を、私は今も心に留めています。

私には、芸術家とアスリートに確かに似たところがあるように思えます。どちらも昨日の自分と向き合い、修正と鍛錬を重ねながら、たまにしか訪れない突破を待っています。アスリートが磨くのは身体、意志、技術。芸術家が少しずつ磨くのは、感覚、審美眼、技法、そして自分が見た世界を表現する力です。

一つの作品が、一度のひらめきだけで完成することは多くありません。たいていは、幾度もの練習が静かに積み重なった結果です。一つを完成させることは、次の作品の出発点に立つことでもあります。

この過程は決して楽ではありません。いくらかの自律と、進歩の見えない日にも歩みを止めない気持ちが必要です。十回、あるいは数十回の制作のあとに現れるのは、ほんの小さな変化かもしれません。それでも、その変化が次へ進む力になることがあります。

それは新しい技法かもしれません。新しい考え、あるいは何かが腑に落ちる瞬間かもしれません。そうした「奇跡」が現れるたび、私には終点というより、次の道の始まりのように感じられます。人は最高峰にたどり着けば、その先の道は下りになるだけなのかもしれません。私は、自分が本当の頂点に達したとは思いたくありません。無知であり続け、歩み続ける。

そのような「奇跡」が現れたとき、作品には「𖢘 Unique Variant M」という印を残します。

それは自分のために残す創作の記録です。その作品の中で、以前にはできなかった変化が現れたことを示します。新しい技法、新しい思考、あるいは、その後の制作の方向を少し変えた「奇跡」のような瞬間です。

何年も経って振り返ったとき、一つひとつの「𖢘 Unique Variant M」が、私の学びをたどる座標になっていてほしいと思います。一見突然に見える変化も、多くの場合、長く静かな積み重ねから生まれたのだと、自分に思い出させるためです。